先日知人が新車をフルオプションでローンを組んで買ったと聞いた。
その家庭は「車は新車じゃなきゃ」、「家は新築でなきゃ」そういう価値観のようだ。
消費の嗜好なんて個人の価値観次第だから好きにすればいいのだけど、ぼくとしては相容れない考えだなと思った。
資本主義社会で生きていくためには賢明な選択を重ねていく必要がある。
その一例として車がある。
新車で買うか中古で買うか。
新車と中古車の違いはなんだろう?
乗っている当人にしかわからない。
持ち主が付いた時点で他人からしたらみんな中古車だ。
契約が成立して誰かのものになった瞬間に「新車」というラベルは消費される。
買った瞬間に売値はどのくらい下がるのだろう?わからないけれど2割だとしよう。
200万の新車を買ったとして、契約が成立して持ち主がついた瞬間に40万円が消費される。
40万円はどこにいったのだろうか。満足のために消費されたのだ。
普通の20代サラリーマンの平均月収は25万で手取りは20万程度になる。つまり、その満足と引き換えにまるニヶ月はタダ働きになる訳だ。
「新車で買った」
これを手に入れるために二ヶ月分は奉仕労働することになる。個人の価値観次第だとは思うけれど、少なくともぼくはバカバカしいと思う。
物は新しいと様々なロイヤリティが乗っている。「最新型」「ブランド」「トレンド」「入手困難」など。
数年経てばそうしたロイヤリティはあらかた削げ落ちて本来の適正な価格に近づく。純粋に機能に対して設定された価格だ。
ここで買うのが賢明な買い物だと思う。
子どもが生まれて出かけるのに必要だからとファミリーカーを買う。思い出のためだ。ステキなことだ。
ただ、思い出の中に「新車で買った」はどのくらい残るのだろう?
ぼくはほとんど残らないと思う。
どこに、誰と、いつ行ったか、そこで何があったかが大切なことで、そこに何で行ったかなんて自分の記憶を振り返ってみてたいして残ってはいない。いや、ほとんど覚えていない。
子どもが生まれるとみんなファミリーカーを買いたがるけれど、それも洗脳の賜物だろう。
田舎暮らしならまだしも、都会暮らしで電車通勤なのにマイカーは必要か?
使っても週末だけなのだからレンタカーを使えばいいのではないかと思ってしまう。
それに大人二人と赤ん坊一人、それで大型のワゴン車が必要か?
要らないだろう。せいぜいステーションワゴンがあれば十分だ。
こうした判断ミスを積み重ねて、資産だと思いながら負債を買うことでローン地獄に落ちたら人生は詰む。資本主義社会アガリの目は見えなくなる。
そんなことを思いながらも、ローンを組んで買ってしまった中古のステーションワゴンに乗って、ぼく自身、今日も通勤しているわけだが。これも負債だ。
型落ちの中古車だったのが救いだが、早くローンを完済したい。
負債を買わずに資産を買おう。
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