現実を変革する者と虚構の海に沈む者

人間の脳は妄想と現実の区別ができない。

本来、自分の願望と現実のギャップは不快感を生じ、それによって現実を変えていくための機能だったはずだ。

しかし、現代ではお手軽に脳を満足させる娯楽がそこら中に溢れている。

僕らは、努力などすることなく、いつでもヒーローになれるし、モテモテにもなれる。

少なくとも、虚構と現実を区別することができない脳にとっては、そのはずだ。

別に、がんばらなくたっていいんだよ。

永遠に自分の気持ちいい世界に埋没していられるのなら。

数世紀先の未来、人は肉体を捨てて電子の世界で生きているかもしれない。そうなれば、何もかも思い通りだ。永遠にツライことなんてせずに自分の気持ちいいことだけしていられるかもしれない。

しかし、現実として、僕らはまだ、そうした心地いい世界に居続けることはできない。

だから、現実での不満をゲームやポルノといった虚構で満たしてはいけない。

それによって失われるのは、本来、現実を変革するために使われるはずだったエネルギーだ。

現実を変えること無く、欲求や願望を虚構でいくら満たしても、一切意味は無い。現実は1mmたりとも変わらない。それは逃避だ。

本来、現実を変革していくべきだったところで逃避すると、現実はどんどん苦しいものになっていく。

それとは対象的に、逃避して入り浸っている虚構の世界では、自分はどんどん強く格好良く、理想的になっていく。

現実と虚構のギャップによって生じる不快感はどんどん強く大きくなり、耐え難いものに変わっていく。

進歩や変化が緩慢で難解な現実と比べ、虚構の世界はいつだって、単純明快だ。お金と時間を投入すれば着実に成長することができる。それは気持ちいいだろう。

だが、それは当たり前だ。

虚構の世界には、罠が張り巡らされている。

人間に快感を与えるようにデザインされた虚構の世界は、巧妙に現実の社会で獲得した資本を搾り取る。

現実を直視できない人間が、逃避のために虚構の世界へ入り込み、せっかく手に入れた現実を変革するための力を虚構の世界へ放り込み燃やし尽くす。虚構の世界へ何かを投入しても一時の快感以外何も得られない。手元には何も残らない。

現実を生きるために虚構の世界で罠を張るものは益々富み、現実から逃避するために虚構の世界に入り浸るものはどこまでも搾り取られる。そうなれば、目が覚めた時に直面するのは、蓄積すべきものをすべて搾り取られ、徒手空拳で挑むにはあまりにも強大な息苦しい現実だ。
そして、虚構と現実のギャップに耐えきれず、現実を否定して虚構の世界を自分にとっての現実にしてしまえばおしまいだ。

とはいえ、現実は、あまりにも不平等だ。

生まれた瞬間から、優れた者がいる反面、あらゆる点で劣る者もいる。

貧乏かもしれないし、ブサイクかもしれない。スタート時点のパラメータで人生の難易度は大きく違う。

あまりにも理不尽。

しかし、それでも僕たちは、配られたカードで勝負するしかない。

どんなに嘆いても、悔やんでも、配られたカードで勝負する以外に選択肢は無いんだ。

このゲームでのサレンダーは、そのまま人生の終了を意味する。

そんなものはいつだってできる。

だったら、次のカードを引こう。1枚で形勢を逆転できるアニメのようにドラマティックな切り札は、この、人生というゲームには存在しないけれど、それでも、確実に言えることは、自分を成長させていけば現実は変わっていくということだ。

そして、最後にひとつ伝えたい。

このブログを読んでくれている人は、きっと日本人だと思う。

だとしたら、どんなに恵まれていない境遇に思えても、僕らにはまだ選択肢がある。人生というゲームをプレイすることができる。

生まれた国によっては、最初から選択肢など無い人たちもいる。毎日毎日、救いのカードなど無いだろう山札からカードを引き、ただ引いたカードを切ることしかできない人たちがいる。

けれど、僕らは舞台に上がり、自分が切るカードを選べる。

言い訳なんてできない。

一度舞台に上がったら、終わるまで舞台から降りることはできない。

限りある資本を、有効に使って、現実を変えていこう。

浪費ではなく、蓄積するんだ。

今日も闘おう。

 

それでは、また

ミギマワル

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です