禁欲主義者よ、孤高であれ

こんにちは

ミギマワルです(@migimawaru

 

自己改善をするということは、自分がだんだんと変わっていくことでもあります。

そうすると、今までの人間関係が窮屈になることがあります。

今日はそのことについて書きます。

 

孤独を恐れるな

群れると共同体を維持するために、他人と折り合いをつけたり、同調することが必要になります。

そして、その関係が深くなりすぎると他人が拡張した自分のような感覚に陥ってしまいます。

同じ共同体に所属する人間として他人のことを自分の一部のように感じるようになります。それは仲間意識としてポジティブに働くこともあるんですが、あまり強力になりすぎると他人が自分の思惑と違う行動を取ることにイラ立ちを覚えるようになったりします。

自分のこどもが自分の思い通りに行動してくれないことに怒るのとか、会社の中でみんなと違うことをする人にイラ立つのとかがいい例ですよね。

そもそも自分とは違う人間、別の人格なのだから、自分と違う考えを持っているのは当たり前だし、自分の思い通りに動くと思っている方がおかしいんですが、「家族」とか「会社」とか同じ共同体に所属しているという認識が強いと、他人に対しても自分が守っている規律や行動規範を守るのが当然だと思い込んでしまうんですよ。

考え方が違うのだから、その共同体への帰属意識だって違うのが自然だと思うんですがね。

こういった、他人のことを自己の延長として捉えてしまうことの最たる形が依存だと思います。

そうなると、家族や恋人の行動を、自分の思っている「常識」とか「あたりまえ」で矯正しだす。

会社などの組織では「習わし」とか「伝統」とか言って、考え方や振る舞いを強制しだす。

そこから逸脱する人間は、矯正して共同体に取り込むか、矯正不可能な場合は排斥する。

友人関係も同じです。

考え方の多様性を認めずに行動を制限するような言動や振る舞いは、当人たちは「良かれと思って」「無意識」に行っているのでしょうが、それは結局、無意識に同調圧力をかけているとも言えます。

まあ、しっかりと認識しながら同調圧力をかけてくるような面倒な人は、利権の絡みづらい友人関係ではあまりいないと思うので、通常、仲間内の同調圧力というのは自然に発生しているとは思います。

それでも、行動を制限するような空気をあなたが感じるのであれば、その空気はあなたの行動に確実に影響を与えているということです。

ただ、それは、自分が変化している証拠でもあります。

 

変化に伴い人間関係が変わるのは自然なこと

自分のやりたいことを、目標を達成するためにがんばると価値観や行動が変わり、今までの人間関係は窮屈なものになっていきます。

それは自然なことではないでしょうか。

価値観が変わり、健康のために早寝早起きをしようという人が、毎晩夜更かしして飲み歩く人たちと交流するのは窮屈でしょう。付き合いのためには自分の価値観に背かなければなりませんから。

そこで、矛盾する2つの価値観の間で悩み、再び夜更かしする人たちと群れてしまったら元の木阿弥です。残念ながら成長はありません。

自己改善によって自分が変化していくと、価値観が変わります。人間関係に軋轢が生まれるのは自然なことです。成長痛みたいなものです。

変化によって生じた摩擦を受け入れられず、もとに戻るのもひとつの判断ではあります。

しかし、そこで一時の苦痛を受け入れ、自分の信念や理想のために孤独になることもいとわない姿勢を、その覚悟を孤高と呼ぶのでしょう。

成長していくためには孤高であることが求められます。

ついでに言うと、結婚したりして生活が変わると必然的に価値観も変わります。

そうすると、今までの友人関係なども、どうしても変化します。

それは、互いの価値観が違ってしまうから仕方がないことなんですよね。

 

 

他者との関わりを断つな

一時期、飲み会をすべて断ったり、プライベートでは、ほとんど他人と交流を取らないでいた時期がありました。

そして、どうなったかというと、あらゆることに対してやる気が無くなりました。

「志高く、孤独を選んだというのにナゼだ!」

焦りました。

どうしてやる気が出ないのかと思って、いろいろと考え、試してみた結果わかったのは、人は他人との交流が無いと取り組んでいることに意義が見いだせなくなる。

という結論でした。

人間は物事を他者との比較の中で認識する社会的な生き物なので、自分ひとりで取り組んでいるとやがてモチベーションが尽きてしまうんですね。

気づけてよかったです。孤独死するところでした。

 

孤独を恐れるな、孤高に酔うな

孤独と孤高はまったく違います。

孤独は状態で、孤高はこころの在り方です。

孤独でいることはいいことではありません。仲間がいるに越したことはありません。

人間がひとりで取り組んでできることはたかが知れています。ついでに言うと、孤独感を感じていると死亡リスクも上がります。

友人は大切な存在です。自分に合ったスタイルで他者と関わりを持って、有効的な関係を築きましょう。

結局、この記事で何が言いたいのかというと、人間は社会的な生き物だから、他者との交流でフィードバックを得られないとモチベーションを維持できない。けれど、自分の成長のために必要ならば、孤独になる覚悟(孤高の精神)を持とうということです。

依存せずに気高く生きたいものです。

 

それでは、また!

ミギマワル(@migimawaru

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1 個のコメント

  • 昔は、孤独でも平気だったのに、今は寂しくなる。

    禁欲も平気だったのに、今はダメ。

    でも、人間は生まれてから、死ぬまで結局孤独なんだと思い知らされます。

    人が離れていく危機感も、昔みたいに感じなくなってしまった。

    孤独になれば、人が離れていく危機感も取り戻せるかな。

    離れていってからでは、遅いから。
    現に、離れていった。

    昔、孤独と禁欲をしてるあいだは、生き甲斐を強く感じてました。

    今では、生きている実感も湧かないです。

    もう一度、自分を取り戻そうと、思いました。
    この記事を読んで良かったです。

    美しいと思いました。

    常にオリジナルで、あるために。

    ありがとうございました

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