こんにちは
ミギマワルです(@migimawaru)
今日は人間は習慣によってできているという話を書く。
人間は習慣によってつくられている
例えば、今現在太っている人が良質な食事の習慣と運動の習慣を身につければ時間の経過とともに痩せていく。
そして、いずれは「痩せている人」になる。習慣に導かれて人間が変わっていく。
人間、何もしていないということはありえない。
ほとんどの行動を無意識に選択している。習慣に基づいて行動が決定される。そう、自動で。
ぼくたちは自分で自分の人生をコントロールして生きていると思っているが、実際のところそれは間違いだ。
ぼくたちが意識的に選択して行動している割合はとても少ない。
人間は、習慣に基づいて自動で行動をして1日のほとんどを過ごしている。
限られた意志力を何に使うか
いつもと違うことをするのには意思の力が必要だ。意識的に行動することには意思の力を使う。
そして、意思の力には限りがある。だからこそ良い行いを習慣化することに意思の力は使うべきだ。
一度習慣化した行動には最早意思の力は必要ない。それは自動で実行されるようになる。
そうして余った意思の力を別の新しい改善に使う。意思の力を自己改善に使わなければ成長はない。
いつもどおりに過ごしたらどうなるか?
今の自分がその結果だ。
そこから「より良く」を目指すのなら良い習慣を身につけなければならない。
そうして、身につけた良い習慣によって、時間や体力やお金といったリソースが更に増える。
これを繰り返すことで、小さな雪玉が転がり、やがて大きくなるように成長していく。ぼくはこのサイクルを回したい。
ぼくはもっと良くなりたい。だから日々自分を構成する習慣を組み替えていく。
ものすごく頑張るのは無駄
短期的なことに対してものすごく頑張るのは意味があるが、今回話しているのは習慣の話だ。
たまにものすごく頑張るのでは習慣にならない。それを繰り返し続けなければ、継続できなければ習慣化することはできない。
習慣化のために必要な刺激は強度よりも回数だ。
「ものすごく頑張る」を今日も明日も明後日も続けられるか?
意思の力は限られている。限界までリソースを投入してようやく達成できるような頑張りは、ほんの僅かな予想外によってあっという間に実現できなくなる。
そもそも取り組むことが苦痛になってしまっては継続は難しい。
「ものすごく頑張る」よりも「少しだけ頑張る」を継続した方が習慣化のためには効果が高い。
効率を求めるのは「あたりまえ」にできるようになってから
例えば、たまにしかエンジンのかからない車がある。
その車に同じ時間でより遠くまで走れるようになる機能を搭載したとしよう。
もともと3時間で100km走れるところを、新機能で110km走れるようになった。でも、1週間に1回しかエンジンはかからない。
それだと1週間で進める距離は当然110kmだ。
対して、毎日エンジンのかかる車がある。
同じく3時間で100km走れる車だ。それで毎日1時間だけ走った。
1時間で進める距離が30kmだったとしても、進んだ距離は210kmだ。これが毎日しっかり3時間走っていたら700kmだ。実に6倍以上の差がつく。
新機能を組み込んでもエンジンがかかるのが1回だったら、効果を発揮するのも1回分だ。しかし、1週間毎日エンジンがかかれば効果はその7倍だ。
効率を高める技術は、毎日エンジンのかかる車に搭載されてはじめて真価を発揮する。
そして、たまにエンジンのかかる車が、毎日エンジンのかかる車との差を埋めるために「ものすごく頑張る」ことで挽回しようとするのは危ない。そんな無理な走らせ方をすると車がブッ壊れる(心が折れる)可能性がある。ぼくも何度も経験がある。
だから、新しい習慣を身に着けようと思ったら、はじめはとにかく「楽」で「楽しい」を優先して毎日エンジンがかかるようにする。
そうして、それが習慣化した時にもっと効率のいい方法を無理の無い負荷で導入する。
良い習慣で、かつ楽しくできることをやるのが一番だが、それができない場合には次善の策として楽にできること、やっていて苦ではないことからはじめるのがいい。
この方針でぼくはやっていこうと思う。
お金も時間もやることも自由になる人生を目指して。
それでは、また!
ミギマワル(@migimawaru)
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