【逆転の舞台に上がれ】人生の主導権を取り戻す方法

こんにちは

ミギマワルです。

 

今日は、「人生の主導権を取り戻そう」ということについて書く。

 

 

氾濫する情報の弊害

現代の世の中には情報が溢れかえっている。

そうした情報は、僕たちにまばゆいばかりの夢や希望を見せる。

「いつか、ロックスターになれる。」

「いつか、ハリウッドスターになれる。」

「いつか、成功できる。」

だけど、ある日、気づく。

自分は特別な存在などではなく、ロックスターにもハリウッドスターにもなれないということに。

そうしたメディアの創り上げた幻想に踊らされ、僕らは消費を喚起される。

ロックスターやハリウッドスターも結局の所、メディアの創り上げた商品のひとつであり、僕らにマーケティングするための強力な広告塔に過ぎない。

それを目指して成功できる人間など、素質の段階でごく少数に限られ、実際に成功する人間は運にも恵まれ、更にふるいにかけられる。

「自分は特別な存在などではない」

僕にとって、そう認めることは、本当に不愉快なことだった。

僕だって、ドラマや映画の主人公のように劇的な展開が起こって一発逆転をしたかった。

だが、そうした「一発逆転」の発想自体が、既に物語に毒されている。

物語の世界では、どんな窮状も、奇跡の一手で一気に大逆転できる。

しかし、現実には一発逆転は、愚者にとどめを刺す最悪の悪手であることが多い。

FX、先物、宝くじ、仮想通貨、あげればキリがない。

それらに人生を賭けて、見事勝利を掴む者もごく少数ながらいるだろうが、自分が勝ち名乗りをあげられる、その少数の人間に入れるなどと、どうして思えるのか。はっきり言って、これらも運否天賦のギャンブルでしか無い。「自分は特別な存在などではない」ということを認められないが故に、自分の可能性に賭けてしまう。

成功している人間が多く存在するように見えるのは、生存者バイアスと、愚者が「一発逆転」に賭けることを見込んで成功者のふりをしている人間が紛れ込んでいるからだということに気づけなければ、僕も、危うくこれらに人生を賭けるところだったが踏みとどまった。

しかし、どうすればいいのかはわからなかった。

僕はわからないことはすぐに検索して調べることにしている。

情報が溢れかえっている現代では、調べれば大抵のことには答えが返ってくるからだ。

待ち時間はない。答えは、いつでもすぐに返ってくる。

検索窓に知りたいことを入力して神に問えばいい。それだけだ。

「OK、Google、僕はどうしたらいい?」

 

 

舞台に上がれ

インターネット世代の僕に、いつでも即座に答えをくれていたインターネッツの神様も、本当に大切なことは教えてくれない。

地球上に75億人以上いる人間、それぞれが、異なるパラメータで異なる環境にいて、異なるステータスにある。

そりゃあそうだ。それら全員に共通して適用できるような方法はこの世に無い。

そもそも、あったとしても、自分に適用できる最適な立ち回りを特定するために、いったいどれほどの長さのフローチャートに解答すればいい?それに答え終わるまでに状況は変化して、途中でフローが変わるかもしれないし、仮に答え切ったとしても、その頃には僕の人生の三分の二は終わっている。「よし、正しいやり方はわかった。しかし、不本意ながら、もう年金で暮らす年齢だ。来世に期待しよう」というのでは困る。

僕らの世代は何でもすぐに明確な結果が返ってくることに慣れきっている。ゲーム然り、ネット然り。

しかし、即座に結果が返ってくるのは虚構だけだ。現実はそうはいかない。

現実の出来事は遥かに複雑で、何より違うのは、ゲームのような虚構の世界では行動と結果は直接繋がっているが、現実では、その間に「育てる」というプロセスが入る。時間がかかるのだ。すぐには結果が出ないのだ。

だから、やっぱり自分で最適な戦略を探りながら生きていくしかない。

勘違い野郎の僕も、流石に20余年も生きていればいい加減「自分は特別な存在じゃない」ということに気づいていた。

後は、それを認められるのかどうかの話だった。

僕はこじらせ、それを認めるのがだいぶ遅くなってしまった。

「自分は特別な存在じゃない」などと認めるのは怖かった。

それを認めなければ永遠に可能性の世界に生きていられるのだけど、妄想の世界に埋没しているうちにも刻々と現実の可能性は失われていっている。あらゆる物事はトレードオフだ。

夢を見続けて朽ちていくのも一つの生き方ではあると思う。

若者が夢も希望も見られないような世の中は確かにクソだと思う。

だが、夢と希望をじっと見続けていても、目が悪くなるばかりだ。

アニメみたり、ゲームばかりしていないで、少しは体を動かしなさいというやつだ。行動しろってことだ。

口だけ野郎にならないためにも、僕はやはり現実で成功したい。始めるのが遅かったとしても、遅かったなりの成功がしたい。

そのために「自分は特別な存在じゃない」と認めた。

「自分は特別な存在じゃない」と認めたことで、ようやく現実を見ることができるようになった。

そうなってはじめて、現実に何をしていくべきかを考えることができるようになった。

自分が心地いいと感じられる虚構の世界に資本を投げ込んで、「自分は特別な存在なんだ」ということを感じ続ける必要がなくなった。

自分の『本当はありもしなかった可能性』を守るために振る舞わなくてよくなり、ようやく自分の人生の主導権を取り戻すことができた。

そうやって、ようやく人生の舞台に立つことができた。

ロックスターやハリウッドスターみたいな、誰かの描いたキャラクターを演じるのではなく、自分が舞台に立つ。

自分の人生を生きられるのは自分しかいない。逆転の物語をここから始めるのだ。

そう、これは僕の人生だ。

自分の人生を生きるために、まずは、舞台に上がれ。

 

それでは、また

ミギマワル

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