【効率的な読書法】時間とお金を無駄にしない『攻める読書』のすすめ

こんにちは。ミギマワルです。

読書法について思うところがあって、勉強したのでその内容をまとめておく。

頭のいい人や、しっかりと受験勉強などをしてきた人は、もしかしたら当たり前にできていることのなのかもしれないが、自分の読書法について疑問がある人は一度読んでみてほしい。きっと参考になる内容もあるはずだ。

 

行動には「能動的なもの」と「受動的なもの」がある。

例えば、映画鑑賞や音楽鑑賞は自分の行動が介在せず、情報を受け取るだけだから受動的な行動といえる。今回話題にしたい読書についてもこれに該当する。

逆に今こうやって書いているブログなどは自らの行動して記事を作成しているのだから能動的な行動といえるだろう。

自分の行動が介在しない受け取るばかりの行動というのは、娯楽として楽しむにはいいが、自分には感情的なもの以外何も残らない。そしてなにより退屈だ。

読んでいる本が小説ならば問題ない。登場人物に感情移入し、情緒を味わえばいい。それは豊かな時間だ。

しかし、ぼくの場合は昔から本を読むのが好きだったが、その読書傾向は高校卒業後からビジネス書に傾倒していった。

今まで、数えきれないほどのビジネス書を読んできたし、勤め人の仕事で得た給料も合計すればバカにできないくらいの金額をつぎ込んできた。読むためには当然、相応の時間も投入した。

ただ、ビジネス書を大量に読んできたが、読んできただけだった。

目から入った情報の多くは、ぼくを通り過ぎてどこかへ消えた。手元には「一度読み終わった本」だけが残される。これまで、それの繰り返しだった気がする。

本を読んで、何かが変わったような気分になったこと以外、何も変わらなかった。

ビジネス書に情緒を求めても仕方がない。それを読んで何も身につかないのなら、なんとも空しい行為だ。

それでも暇さえあれば、ずっと本を読んでいてようやく自分の読書法について疑問を持った。

「あれ、この読書法では、ただの時間と金の無駄遣いでは?」

そう思い、そもそも本の読み方という誰に教わることもない、当たり前に行っている行動に疑問の目を向けた。

早速、読書法に関する本を読んで、実際に自分の本の読み方を改めたところ、これがなかなかよさそうだったのでシェアさせてほしい。

 

本には容赦なく書き込みをしろ

本をぶっ壊せ。

本の読み方として一番大切だと思ったのはこれだ。

思い切り本を汚す。もちろん、ただ汚くするんじゃあない。

線を引き、余白に書き込みを行い、重要だと感じたページは容赦なく折る。

本の情報を得て感じたこと、思ったこと、疑問点、そうした自分の思考を書き込むことこそ、正しい本の読み方だ。

はじめの内は本へ線を引くことに抵抗を感じるかもしれないが、そうした心理的抵抗を乗り越え、書き込み、線を引いていくうちに段々と清々しくなってくる。

ぼくは、貧乏性だったために、いつもこころのどこかで売却するときのことを考えて小ぎれいに読んでいた。これが時間と金の無駄だった。

ほとんどの本は、売却したところで二束三文だ。

中古になった時点で、本の内容という本質的な価値はともかく金銭的な価値の大半は失われてしまっているのだから、遠慮などする必要はない。使い倒さないことほどもったいないことはないのだ。

書き込むという自分の行動が介在することによって、受動的であったあなたの読書は能動的な行動へと昇華される。

 

つまらない本は途中で読むのをやめる

つまらないということは興味を持って読めていないということだ。

その状況にありながら、せっかく買ったのだからと嫌々読み進めても得られる学びなどたかが知れている。いやいや受けていた授業の内容がどれほど頭に残ったか考えてみればいい。

自分には合わない本だった。タイミングが合っていないのだと、読めないものは読まないと潔く決断することも重要だ。

本を買った千数百円は無駄になるかもしれないが、それよりも時間を失うことの方がダメージは大きい。

つまらないと思いながら我慢して読んで、お金に加えて時間まで奪われるのは最悪だ。本の代金以上に損失を大きくしてしまう。潔く損切しよう。

 

本文に入る以前に勝負は決まっている

何も準備せずに情報を受け取るのと、相手が話すことを予測したうえで情報を受け取るのではどちらが理解が深まるかはいうべくもない。

ぼくは本の目次というのは読み飛ばして本文から読み始めていたが、この段階ですでに負けていた。

頭のいい人というのは、表紙や目次からどういった話が展開されるのかを予測したうえで本を読みだす。

何の情報も持たずに議論に入るよりも、どういった話が展開されるのかを予測したうえで議論に入った方がより深い議論になるのは間違いない。

ふつうの受動的な読書はただ情報を目に入れるだけだ。この記事で話している攻めの読書は能動的に行う。

議論をするつもりで、可能な限り多くの情報、深い理解を得ることを目的に読書を行う。

惰性で読んでいたらそれは、つけっぱなしにしているテレビをだらだら見ているのと大差ない。

 

一回目の読書は前哨戦

これまで、ぼくは一度読んだ本は基本的にもう読まなかった。

「一度読んだ内容なら知っているから、もう一度読む必要はないだろう」と考えていた。バカ者だ。

知識は記憶に根付いてはじめて身についたことになる。

数学の公式を見たことがあっても、試験の時に思い出せなかったら意味がない。

公式をみて、「そうそうこうだったよね」と思い出せても、それでは役に立たない。

エビングハウスの忘却曲線というものがある。

人は一度学習したことを時間とともに忘れる。その忘れてしまった内容を元通り記憶した状態に戻すためにどのくらいの時間がかかるのか、時間の経過ごとにどのくらいその時間が大きくなっていくのかを示している(正確には節約率という値でどのくらい復習の時間が短縮されるか)。
※ 実験に使用されたのは無意味な文字の羅列であり、そのまま学習には適用できないともいわれる。興味があったら詳しくはググってくれ。

一度で読んだ本の内容を覚えられるのなら苦労はない。

複数回読むことによって、記憶の定着はより強固になっていく。

そこで、1度目の読書の際には書き込みの文字色は黒を使用する。2度目の読書の際には書き込みの文字色は赤色を使用する。

これによって、自分の思考の遷移が一目瞭然になる。1回目の自分の疑問に2回目で回答した場合もそのことが明瞭になる。おもしろい。書き込み甲斐が出てくる。

自分の知識として身につくまで何度でも読み返し、その本を征服するのだ。

 

あるテーマについて本を読むときは並行して2冊読む

目的があって、あるテーマについて本を読むときは、そのテーマについて別の切り口から語られている本を複数冊並行して読む。

知識は別の知識と関連づくことでより強固になり、理解の深度も増す。

それぞれの本で語られている内容の共通点や、別の結論に到達する場合の分かれ目となった要因などを見つける。

そうした目で読書することによって知識は身に付き、理解は深まる。

 

読んで身に着けた内容はアウトプットする

読書して学んだことは読書ノートをつけるなり、テキストデータとしてメモを残すなり、Twitterで発信するなり、ブログを書くなり、とにかく何らかの形でアウトプットをする。

学んだことをアウトプットしようとすると、その内容を説明する際に自分の中で理解が不足している個所に気がついたり、学びが多い。

文章を書いたりすることで頭の回路も使用されるし、学んだことも必然的に思い出すことになる。手や口を動かすことになるし、記憶に定着させるにはうってつけだ。

読書メモをまとめて隙を見ては見返すことは復習になり、記憶に残るようになる。

最良の学習方法は他人に教えることという。

人に説明できるようになって初めてその知識は身についたといえるだろう。

 

この記事自体も読書法について書かれた本で学んだ内容をまとめた。

  

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