こんにちは
ミギマワルです。
今日は、「時間が足りない!」、「新しいことをはじめたいけど時間がない」という人に伝えたいことを書く。
余っている時間など存在しない
時間は誰も皆平等に流れている。
日々忙しく仕事に追われている人にも、働いていない人にも皆平等にだ。
時間は取っておけない。余らせて貯めることはできない。必ず、何かに使われてしまう。
激務で分刻みのスケジュールで仕事をこなしている人も、暇している人も、必ず、与えられた時間を使い切っている。
誰もが時間を目いっぱいに使って生きている。
そうした時間の性質的に余っている時間というものは存在しない。
だから、「何かをしよう」と思うのなら、それは必然的に、「何かをやめる」とセットになる。
時間を作り出す方法はひとつしかない
だが、何かをやめることに抵抗のある人からは、「作業効率を上げて、かかる時間を圧縮すればいい」という声が上がりそうだ。確かに、それによって空き時間を捻出するという考えもあるが、そんなもので稼ぎ出せる時間はたかが知れている。
そんなことをするために、試行錯誤して時間と労力を費やしても、時間が足りないという問題は解決しない。小手先のテクニックで問題を解決しようとしても限度がある。根本解決は無理だ。
結局の所、必要の無い行動を洗い出して辞める以外に方法は無い。
何かをやめるにあたって、まずは、なんのためにそれをやめるのか目的を明確にする。
そして、創り出した時間で何をするのかを具体的に決める。
その上で、自分の目的達成の助けとならない行動をやめる。
創り出した時間に、事前に決めておいた行動をする。注意すべきは、そこで気を緩めて怠惰な行動を取れば、それは、せっかく創り出した時間を食い尽くすまで増殖するということだ。それでは、せっかく行動様式が変わっても、新たな悪習がひとつ身につくだけだ。
人間はほとんどの場合、余白をそのままにしておくことができない。
部屋の空きスペースはやがて物で埋め尽くされる。時間の使い方も同様だ。
一日の行動は既に自分の習慣によって埋め尽くされている。
何かを変えるのなら、行動を変えるしかないが、そのためには何かを辞め、余白を作る必要がある。— ミギマワル (@migimawaru) 2018年10月16日
結局、あたらしい何かをはじめるためには、すでにある何かを捨てなければならない。辞めなければならないということだ。
時間の使い方が大きな違いを生む
1時間を有意義なことに使うのも、同じ時間を悪習に費やすのも、1日単位で見れば、その差はごく僅かに違いない。
しかし、日々の僅かな違いは、時間の経過とともに複利の力で運用される。
ほんの僅かな違いが、長い目で見た時、取り返しのつかない、とてつもなく大きな違いを生み出す。
そして、その違いが現実に結果となって現れるのは、思っているよりも、きっと、ずっと早い。
日常の些細な違いを軽んじず、日々積み上げていく。
日々の漸進に時の力を掛け合わせ、大きな前進に変えること。それこそ『時計回りの前進』だ。
明日、突然、飛躍的によくなることは無い。
だけど、今日、一歩前進できたのなら、明日は今日より少し良くなるはずだ。
それの繰り返しの先に成功があると信じている。
今日はここまで。
それでは、また
ミギマワル
コメントを残す